写真の状態は様々でした。 比較的きれいなものから、バクテリアによる浸食が進み表面の像が ほとんど溶けてしまったものまで。そしてここにある写真の多くは、 損傷が激しく持ち主の判別が難しいと判断されたものと、 運良く持ち主が見つかったものから貸してもらったものです。 3月11日までは、誰の家の引き出しにもあるような家族の、 仲間との思い出の写真だったはずです。 ぼくらは写真を撮ります。何枚かは大事にされ、 その他はあまり顧みられずに置いておかれます。 ぼくらは楽しい時、何かいいことがあった時、 誰かに見せたいものと出会った時写真を撮ります。 ここにある写真も同じでした。 一枚一枚その想いに大小はあれど、誰かが残しておきたいと思った場面でした。 この写真たちを前に何を思うべきなのか、答えは出ません。 見つかった写真を喜ぶべきか、もう持ち主の手に戻らない写真を悲しむべきなのか、 それともいなくなってしまった人たちのことか。 何か答えを出そうとするたびに、足りないものが出てくるような気がします。 それでも見つめることからしか何も見えてこないのだと思います。 (via LOST & FOUND PROJECT)
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